友人がうつになりまして

表題通りなんですけど。

 

しばらくぶりの友達に会いまして

なにかなー、またこういう流れならもしかして結婚とかかなー?

 

「鬱になった」

 

「マジかよごめん」

 

半端に間抜けな会話をしてしまった。

 

 

今までの話、

ぶっちゃけた話、誰か友人が死を選んだとしても、それがその人の決断の結果なら悲しいけどそれもありだよなぁ

って本気で思っていたんだけど

その友人には何でだろう、死んでほしくない………って思ってしまったのだ

裏側に隠されてるのは自分の駄目さなんだけど

二、三時間くらい話してて、自分の弱さを直視する結果になった。

 

あぁーーー駄目だぁーーーごめーーんー

って反省しながら話していた

 

「何だかよくわからない」現象?事象?が、目の前にあって、起こっていて、起こっている人がいて

今まで感じたことがないようなわけのわからなさを感じてしまった。

つい、数年前はよく遊んでいたのに

酒飲んでぎゃーんっ ふわわーってなって楽しかったのに

しんどいけどまーなんとかなるわなってお話ししあってきたのに

 

何が違ったのか、何が良かったのか

わからないなーー…って

私にとっての特効薬は島に行って人間関係全部一旦ブチることだった

あー私別に人の中にいなくたって自分は価値あるわーって思ったこと

自分は自分であり代わりになるものはいない たぶん。だから私は私のやりたいこと頑張ればいいんだー…誰かの期待に叶うように頑張らなくていいんだー

って思えたこと。

 

だから今回の友人の件で

何かしなきゃ 力にならなきゃ

って思って自分のやらなきゃいけないことを蔑ろにしてはいない

するつもりもない

しちゃいけないのはここで自分がぶれること

だと思ってはいるんだけどさ

考えちゃうよーっ

 

 

生きづらかったり、不安だったりが爆発している友人をここ一年で目の当たりにし続けてしまった………弟や友人や家族や

ぜんぶいっしょくたにできないし

したくないしでも

みんな どっかで

平気な顔して生き続けていけなくなっていた

 

私は捨ててもいいものが多かったし、捨てて生きて行ける可能性があったし

捨てても生きていけちゃえたある意味図太さとかがあったから

今こうしている

これって有り難いことなんだよなー

 

図太さ大事

図太い自分の芯を持ってなきゃならんのね

ぶれないように

一つ一つ笑い話にしていく気合い

WTBとお話しして引き合いに出しまくった、ハンバーグ大失敗事件の話の時に書いた記事は以下になります

 

http://sherbets1109.hatenablog.com/entry/2017/01/11/032132

 

なんかもう何そんな落ち込んでるんだっていうことを思ったりしますが!

新しいこと気づく事も多いので落ち込んだら落ち込んだだけ書いていこうと思います。

 

やっぱそうね

結局美味しくないーって言われて怒ったけど悲しかったんだよね

悲しかったの認めたらちょっと楽になったかも、という覚えもあります

悲しい って書いたら

あ、私悲しかったのか

って納得してみたり。

怒ってる時って、なんで怒ってるのかって気づかない事多い。

 

そして私はよく拗ねる

拗ねたいの我慢して我慢しているってことに今更ながら気づいた

もっと甘えたかったりするんだよな

ってこの歳でブログに書くのってどーなんだろう。まぁいいや。

 

きづくことがおおい

反省することも多い

ちゃんとひとつひとつ実感して心がけていかなきゃっていうことに気付いたからもう一本ブログ書きます

のたうち

何でだか眠れずのたうちまわっているこんな時間

 

頭の覚醒が止まらぬ夜

なんでだろ。と思いつつスマホをいじりはじめる

 

なんだかな

私の世代って自分にとっっっても厳しい人が多い気がする

 

物心つく前から社会の制度やらなんやらで

それに即して生きて行かざるを得なかったのに、そうしろと言われて生きてきただけなのに

ついた名前がゆとり世代という嘲笑半分

は?ざけんじゃねーよって

私達を笑う世代は、日本の好景気を生きていた過去があって

初任給だって良くて、就職に困らなかった人達

てめーらがしっかりしてなかったから私たち困ってるんですけど

私たちを笑う権利ないですよね

みたいな

 

クソしょうもないことだけど

 

 

誰が作った制度だろうと名前だろうと

生きて行かなきゃならない私は私であって

結局誰のせいにも出来ない

誰かのせいにしたら自分を哀れむことに他ならなくて

虚しくてなんも意味ない

誰も責任とっちゃくれない

自分の人生なんだから

 

当たり前なんだけどね〜

 

って前提だからこそ、自分にこそ優しくしてあげなきゃ

頑張って生きてるだけで

頑張ってるんだよ

みんな頑張ってるんだから

もっとみんな自分のこと褒めてあげてほしいなー

認めてあげてほしいな

他人につけてもらったはなまるより

自分でつけられたにじゅうまるの方が

よっぽど価値あると思う

 

 

 

いやうそ

自分でにじゅうまるつけないと

他人からのはなまるも嬉しくないよ

が私の気持ち的には正しいかも。

 

だからわたしはみんなにもじぶんにもはなまるあげ続けるよ

いつかみんながじぶんににじゅうまるをつけられたとき

わたしがあげたはなまるを思い出して、じぶんのにじゅうまるとわたしのはなまるででっかいはなまる自分にあげられるまで

よくできました!って、もっとじぶんのために頑張るぞってそんな自分好きでいられるように

 

心の底からすげーなって

みんなのこと思ってるのに

みんな自分にバツつけてるから

 

なんか悲しいなって

ここんとこずっと思ってた

 

 

 

なんかさテストの自己採点じゃないけど

ダメだったできなかった再試だー

ってみんな言ってると

自分もそう言わなきゃなんないよーな気になってくる

たとえその教科に自信があっても

 

右習えしなきゃ、あわさなきゃ、おんなじこと思ってなきゃ、言わなきゃ、って

いうのもひとつ刷り込みみたいな、呪いみたいなものがあるのかもしれないなー

何が個性だってね

 

個性的とか知らんし

血液型占いとか糞食らえじゃありません?

あてはめんなよって

そんな枠はみだしてやるわーって

そんで死ぬ瞬間まで人生まだまだこれからだ!って思い続けたまましにたいな。まだまだずっと先の話

 

じぶんだいじに

てきとーに流したり受け止めたり

大事なことは大事に どーでもいいことはどーでもよくして つまんないことは は、つまんねっててきとーにして

 

いちいちふれたくない

ぶれたくないなー

あーでもなにやってんだか

 

おなかぐーぐーしてるーっ

 

 

S氏のおうちの布団が恋しいわん。

なんてな

いつものパターンかこれ

 

怒って

色々考えて

考えて

考えて

泣きそーになりながら文章打って

考えて

考えて

 

結果私が悪いのか。

ってなって反省するパターン

 

いつものことすぎないか?

たまには感情的に なんでよー!!!

ってブチ切れてもいいのではないか

 

黙って食え

って言える胆力が欲しい

言いたいこと言える胆力が欲しい

気にしない力がほしい

 

なんか疲れた

もう遅いから寝るぞオラァ

おつかれかつかれー

うまいこと頭がまとまらない日々が続きます

どーにも感情的になっちゃっていけない。

 

母親に変わってほしいというなら

私も変わる余地があるなと

真面目に反省しました。

 

それだけなんだけど

大事なことだったなー今まで割とないがしろにしてきたかなー

 

反省しました

反省したので実行していこうと思います。

 

 

感情的になりすぎたり感情に振り回されて

やっぱり自分がどんどんみえなくなっている

というか

感情に振り回されて

それが怒りになって

怒りの内側には満たされてない悲しさとか寂しさがあって

わかってしまって、

自分のわがままさとか

なんか、やだよ。

大事なことなんだけどさ

 

どうしたら安定して居られるんだろ?って考え続けてもキリないしさ

お金のこととか大事で

家族のこととかも大事で

 

ちゃんとそういうことも話せるようにならなきゃダメなんだなあと思いました。