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羨ましいと言われて感謝した。

ぼかあもっと周りの人に感謝しないと
と思ったのである。


聞いてくれること
意見をくれること
叱ってくれること
提案してくれること

これら全部「私の内面を見て」
行ってくれる人がいるということ。


もう色んな人に対して本当にありがとうなんですけど。なにこれ私幸せすぎない?



実感と経験と確信

私の色んなことに対しての実感経験確信って、奄美に行ったことを思い出すといっぱい出てくるんですよ。あの土地にももちろん感謝で



ありがとうだけじゃ終わらない

ちゃんとその行ってくれたことに対して、
実感して、経験して、確信に変えていかないとありがとうって言えない!
ちゃんと感謝できないー


って、どっかで思ってた。

プライド高くて完璧主義

だからな。



その感謝を掘り下げた結果、
そもそもその人が言葉を、行動を、私に対して投げかけてくれることがそもそもとても稀有なことであって幸せなことだから

それ自体に感謝したい。
感謝できる人がいる、なんて
なんて素敵なことだろうか。

うまれてきてくれてありがとうとか
一緒にいてくれてありがとうとか
ノート見せてくれてありがとうとか


違いはあれどもそれを行ってくれた相手に対してまずは感謝なのだ


それこそが自己肯定に繋がるし

言ってくれる人がいるということ
→その言ってくれた内容

という段階を踏むことによって

叱ってくれた内容に対して、それをちゃんと行おうor行わないように気をつけよう

という実感に繋がるわけで



まずはその人が私の前に居たこと から。




大事なことに気づいたから書いたけど
完全に自己啓発本の類にありそうな
宗教くさいような内容になってしまう

むかしむかし、母に「感謝すること」
の大切さを説かれたことがあった
宗教の類の話ではあったが
内容自体は悪いものではなかったと思う 今でも
多分この話とだいぶ似てると思う




漠然と感謝するんじゃダメ
ただの信仰であり崇拝になってしまう
崇めちゃダメ 相手は同じ人間だから人間として。

べつに神様に感謝するのはいいよ 偶像だもん
感謝するから私は何もしたくないけどお金くれ〜漠然と恐怖から守ってくれ〜とかもダメ

明確さがないと
理由に自分がいないと
その人の姿を借りた偶像を崇拝することになってしまう

そして目標を据えるのだ





そうか、なんか


奄美にいた時、漠然とありがとうーって
言ってたことは、なんも考えてなかったけど
奄美に来られた自分がいた事」
奄美という土地があったこと」
に対してすごーく感謝してたから
それによって自己肯定ができたし
元気にいることができて
次の目標が据えられたから
間違ってなかったかもねん






多分これが自然にできてる自分が、
好きな自分なんだ

わー!やっとわかったー!
思い出したよー!





ありがとう ごめんなさい
許してください 愛しています

ホ・オポノポノ
って言葉があって、それの話にも繋がりうることかも。本買おう…そのうち





いやほんと

自分のためにしかブログ書いてないな
書きながら考えてました
長くなりました
寝ます