時折懸命に悩みながら知ってく 私を
新しく何かを始めるより、今までなんとなくできてたことをアップデートして行なっていく方がしんどい気がする
こんばんは お久しぶりです
眠気が来ねえんだよな。
はい、えー半年ぶりですかね
8月半ばに退職、10月に結婚式、11月に転職しました。
新しい職場はまぁ うん なかなかですよ なかなかやばめですが この際ほっときましょう
ということで、旦那とハッピーな日常を過ごしております。胃の調子も落ち着いてきました
というわけで上記の話題に戻り
詳細はそのうちまたお知らせすることもあるかもしれないが
昔々 それこそ大学時代にやっていたことを
また始めてみたりすることになりました。
そして私も今までなんとなーくそれなりーに出来ていたことをちゃんと学習してやってみる
という機会になりまして
端的に言うとキツくてしぬ
自己肯定感が削れる
旦那もできること、というか旦那は私よりずっと上手くできること
無駄に比較して旦那'を脳内に作ってる
旦那すごいのよね
私ができること、なんでも大体私より上手くできちゃうし、私が教えたダーツは速攻でスコア超えられたときの愕然とした感よ
勿論昔旦那は野球やってたりとか、そういう全体があるんですけども
それにしたってさー
基本的に旦那を推しているが
推しているのは、自分と違うフィールドに旦那をおきたいというか
推しでもしていないと自分のダメさと比較してしんどいから、推し〜!すごい〜!!!
って言ってるところはまああるわ
また、同じことやってる人で、うわぁすごいほんとに〜!!ってなってても
どこか自分と比較して値踏みしちゃうところがある 自分の失礼なところもある。
よくない、ほんとよくない。
そんなことを考えても仕方ないので
職業病的メンタルヘルス考え方〜
「できてること」を具体的に挙げて自己肯定感上げてこプログラム〜
を、発動してなんとか一晩でメンタルは落ち着きました ということです
なんかもうどかーんと落ち込むタイミングがあるのよね
ナゼデショウカ
今まではやっぱりセンスや技能を他人と比較して、もう私上手くできないやー、これ手抜いていいや〜それなりでいこ〜って頑張ることやめたりしてたなって
それって難しくて、自分は自分で自分らしく
ということが諦めからのものなのか
自己肯定からのものなのか
っていう問題
諦めからでもそのあと自分らしく〜を大事に続けることができたら、それは自己肯定に繋がるけど
諦めた…逃げた…のメンタルにフォーカスすると、自己肯定しづらくなるなーって思う。
しかし
諦めたり逃げた先でも、「できたこと」を本当に少しでも無理矢理にでも挙げられたら、それは自分の成長であり自己肯定に繋がるとも思うのよね
何かを頑張る、何かを行うというのは
それを通して自分を見るって視点が
より強化されるんだよね
ある意味客観的になれるというか
だからきついんだけど〜
そこで自分を前述の通り 肯定していければいいなぁー、その視点もちゃんとバランスよく持っていかないとなー、と思った次第です。
無理はしない
できることをやる
できることを少しずつ広げる
自分に対して過度に期待しないこと
人負けしないように
それが等身大の自分を肯定するということ
さてまあ難しいが
新たなる課題として。
そして
おみくじは凶でしたが。
「おみくじが凶だったしこんなこと書いてあった=だからその通りになる」って全然理論的じゃねえなって思って
考えすぎずにいこう ぜんぶ。
ではまた!