登場人物紹介

Sさん→恋人 彼氏氏 自転車乗りでゲームやアニメや色んなものが好き かっこいい

K氏→高校終わりくらいからなんだかんだ10年弱の付き合いになる友人 相談なんだか自分会議なのかってことをよくする

Mちゃん→中学の時からの友人 絵が上手い 群と銃オタ

友人C→なんか色々大変な人 お勉強がとてもできて頭の良い子だが、仕事の人間関係に悩める女の子 報われてくれ

W氏→このブログを書くに至ったきっかけの友人。心はいつでも多摩にあるらしい。因みに私の心はいつでも奄美にあるよ




彼氏氏のことを彼氏氏って書くのが嫌になったのでここにて改定

これからも宜しくお願いします

タイミングね。



土日をガーっと文化祭に使って

2日

めっちゃ寝た。

いっぱい夢を見た。


SPになるべく身売りをされたり

そんで今ソシャゲでよく使う武器が出てきて

これいいんだよね〜うへへ〜って

恐怖も緊張感もなく過ごしてる夢とか


自転車で大きい街道を爆走している夢とか



数週間前は悪夢に悩まされていて

その時の夢は恐怖感を感じていたけど


基本的に夢においてどんな状況でも

恐怖を感じることはなく

どういうことなのかな?って



いろいろ考えていたら、ここ数日現実感なく過ごしていたかもしれない

ということに気づいた

地に足ついてる感じがーしなくてねー

ひとりでいる瞬間があんまりなくて。

文化祭の前後は彼氏氏の家に入り浸っていた

文化祭の日はかえってきて爆睡していたのであんまり記憶はないが(しかも超飲んでた)

いま数日ぶりに実家に帰ってきて





ぽーっと過ごしている。

心療内科に通っているんだが

記念すべき2回目の通院の日に

先生が体調を崩されたと連絡があり

とか


先日何度目かの学校のカウンセリングに行って

そのカウンセリングの先生は、臨床心理学の授業も受け持っているので

授業でもご一緒するわけで

授業で描いた絵を持って行って

見てもらったら、やはり改めて自分の一部分に気づいたりして

心や精神の世界って本当に深いなって。




精神の世界 で思い出した。

私はいま実家があって

学校があって

実家から学校は自転車で一時間

彼氏氏の家から学校まで自転車で15分

作業療法士を目指して勉強しているんだが

来年からは助手として働きたいと思っていて

しかし実家近くには大きい病院があんまりなくて

募集もなかなか実家近くではなくて
(ほんとにチャリ圏内でしか働きたくない。もう通勤通学に時間かけたくない。大学で懲りた。)

そんな折

本当に一時間ほど前に


「○○病院(彼氏氏の家から徒歩10分)で来年度、精神科の助手を募集するって」

という話を聞いて

!!!!!




私は精神科で働きたかったのだ

それか小児発達

ゆくゆくは心療内科か市役所とか福祉関係で働きたいと思っていたのだ



前々から、彼氏氏の家の近くの方が募集があったので

この話はしていたのだが

改めて話したところ


うちは好きに使いなさい

やりたい分野に行くって、そのための学校でしょ

今までとあんまり変わらないよ



って返してくれたことの有り難さ。



遊びに行く が
一緒に生活する に
変わる。


お互いに しっかり自立していないと

成り立たないってことはよっっっっっくわかった。

楽しいだけじゃダメで

相手のために掃除したり洗濯したりするのは違くて

自分のため




最初にこないと きてないからダメだったんだー


ってことは随分前に学んだので


本格的に、しっかりしないと!

という所存です。




相手のご両親は素晴らしい方々だった

お母様が高校教師

お父様が自営業

お話ししてると凄く楽しいんだー…




そしてそして


まぁゆくゆく家庭をもつということ


考えて


心療内科行って 先生とお話ししたんだけども

もしかしたら、精神科系の遺伝的特性があるかも

って話になって

前々から子供欲しくないって思ってたけど

思ってたけど

それも含めて全部彼氏氏に話したら



彼氏氏のお姉様が

重度の鬱だった時があって

その時に彼はちゃんとその疾患について調べて理解しようとしたのだ

根性論を振りかざすことなく ちゃんとわかる努力をしていたのだ


私は、要するにこういうことでしょ?

って言われて


そうだけどそうだけどーーーつらいのわかってよううううう!!!

ってなるのは当たり前なんだけども

わかってるよ って わかる努力をしてるよ

っていうアクションがある時点で

感情的に つらいね そうだね

って言うことよりも

分析して理論的に こういう状態なんだね

って言うことの方が、言えちゃうことの方が、本当は、実は 難しい。

ちゃんとわかろうとしないとわからないことだから。



きっと本当は 多少は心配してくれていたのだ

たぶん。

そうじゃなかったら そんなこと言わないだろーなー、そうだよなー。

って、二週間ほど経って納得している。



感情的に寄り添うことが容易くて、効果は比較的短期的で

理論的に理解して話すことが難しくて効果的かどうかは相手と自分に委ねられるってことを

彼はよく知っている



私はどっちも大事と思うよ。

だから、いつもありがとう(友人K氏へ)

って、ふと降ってきた。


どっちもあるとちゃんと覚えてるし思い出すことが出来るんだよなーーー。ってことを、日々実感している


先日の、課題パニックの時なんかそう。



彼氏氏曰く、彼氏氏母のお言葉


「工夫しろ、頭を使え」


ってシンプルかつ衝撃的な言葉があって




文化祭の準備してる時

なかなかなかなか終わらなくて

その言葉が頭によぎって

テキパキできました(語彙力)




エピソード記憶って、頭に残りやすいからね。





そんな私の周りの人々のやりとりや

言葉とかをまた

大事にしていきたいし、自分も振り返りたいな…って漠然と思っていたから作業療法士を目指したわけで

だから精神科かなって思ったわけで

一歩踏み出せる機会があるということは

有り難いことなのだ。





うん、感謝だね。


よーし、やったったんぞー


再来週末は奄美だ!

PVが今月100突破したとか通知が来た

いや表題のとおりなんですけど
誰が見てるんですかね…


自分と会話するだけの日記のつもりです

自分のことを知るための日記です

そして私を取り巻く人たちを知る日記です

自分からどう世界が見えているのか

まだわからない




課題、なんとかなりそう(帰宅してひと項目書き上げた

パニックしたとき(進行形

下書きが全部消えて軽くめんどくさくなっている




何があったか

何かしら常にまぁみんなあるんだろうけど

その度に気付いて書かないと





すぐ忘れる

大事なことほど



というわけで、パニックになった話

むしろパニックになってる話(進行形)


学校から明日提出の課題が出まして


もう頭ぐっちゃぐちゃ
頭ぐっちゃぐちゃ


明日バイトなのに
時間ない


でも何故か終わらせる自信はある
(やれば 終わるって自信?)

でも終わらない自信もある
(書けないパニックになる気がして)


どうしようどうしよう
学校にはもう残れない
明日バイトのあとも時間がない

帰る時間が勿体無い
彼氏んちいくか?
でも明日バイトだから結局早起きしなきゃいけない

もうやだむりむりむりむりうわぁぁぁどうしようどうしようダメだもうダメだー!



なんでもないよーに考える努力をするけど
なんでもなくない!やばい!!!
って考えと拮抗して

もうやだむりむりむりが高まる

できないくせに完璧主義で

まず帰ることより


課題を提出しなきゃいけない
明日バイトだから時間ない

に頭が囚われてしまって

動けなくなってしまった


ふと降ってくる考え

「こんなこと前にあった気がするし彼氏氏になんかいわれた気がする」

っておもいまして


彼氏氏の言葉を思い出した


「誰かの為に動くことができる 考えることができるっていうのは良いことだと思うけどね
でもそこでそれが余計なことなのか、って

一歩踏み止まることをしない、出来ないところがあるのよね

そこなのよね
草むしりしても、部屋を片付けても、自分で誰かの為になってるって実感しにくいのよね

だから結果を予測して行動するってところに行き着かないと思うんだ」


もうほんとこの人よく私のこと見てますよね




まぁ


一歩踏み止まる
結果を予測して行動する

ってことが私にとって重要で


前に出掛けた後に
疲れたけど貴方の家行きたいわ

ってなった時に


今日はやめとこう
今日はやめよう
だってお互い疲れてるし
家でやらなきゃいけないことあるでしょ?(実際あった)
そんな状態で来たって
俺は疲れててあなたにロクに構えないし
わかりきってるでしょ
だからやめよう
お互いの家に帰って、自分のやらなきゃいけないことやりましょ


って淡々と諭されたことを思い出して
結果を予測して行動する とは


まて
まてまて

私はやらなきゃいけない事がある
そしてとっとと寝なきゃならない
そんな状態で彼氏んち行っても
時間ないし
やめとこう

ってなるまでに約1時間

ぐちゃぐちゃがようやくようやく若干解けて

よし

家に帰るぞ
どう帰る?
チャリ置いて電車で帰ろう


いややめた チャリで帰ろう
どうせ大して変わらん


あーーーーーでも家帰ってもご飯ない


お腹すいたお腹すいたあぁぁまた頭ぐちゃぐちゃしてきた



飯だ!!!



ってことになりまして


松屋in(今ここ)




と言った感じです。

食休み中です。




最近気がついたんだけど

パニック?になってる時

目をくわっと見開き続けていたり
手が震えたり
息がしづらかったり

するんだけど

これは何だろうか


今も若干その感じはあるんだけど

なんとか落ち着いてきたところである。



空腹はほんとパフォーマンス低下させるから

これからはパニックになりそうな時
腹減ってたら

まずなんか食べよう


ってことにしようと思う。





すぐにダメになっちゃう


なんとか持ち直せたのは

彼氏氏の言葉を思い出したこと
あと友人の過去の姿を思い出したこと
完璧主義である自分を思い出したこと



友人がなんだかもうかなり前だけど
無理してる?時に 目を思い切り開いていたなぁと そんな姿を何故か思い出した
そして友人の今の姿を思い出して
あー色々話したなぁ…って

ちょっと落ち着いた たぶん




思ったことも思い出したこともすぐ書かないと忘れちゃう
大事なことを言ってくれたこと
受け取った自分がいたことを思い出して
一歩踏みとどまってから動き出すことをちゃんと行うこと

そうすれば過去の自分に対して後悔してまたうじうじやっちまったーって無駄に頭抱えないで済む

とりあえず今は
今から行動に移すから

実行 感じる は 、まだ。
ここまでしか書かないってちょっと気持ち悪いけどさーーー




結局自分がどうなってるのか
どういう性質があるのか
もしかしたらその性質に名前がつくのか?

って考えるけどまだわからない

そのうちわかるかもしれない




自己分析に飽きた

飽きたことにする。だから好きな人たちのことを考えるつもり

感じたことを思ったことをそのまま書くつもり



しかしなんでこんなに途方もなく窮屈な気分になっている?今

大丈夫 動けるって自信がある うん。




とりあえず
とりあえず
とりあえず



帰るぞオラァ!

















(ここまで読んでくれた人は
私が明日、課題を無事提出できるように祈ってください)

きょうのかんそう

返事放置してたりする各位
すんません申し訳ない


今日1日
というかもう昨日か
1日かけて幕張まで往復してきました

なんもなんもなんも考えないで走ってたつもりなんですけど
気づいたら往復110kmって大した距離でして
1日で50km以上走ったのって初めてで

なんもなんもなんも考えないで走ってたつもりだったんだけど
何かあったかもしれなくて
過去のいろんな出来事思い出したりしながら走っていたわけで

何かしらありそうなので
思い出したら書く


大丈夫 なんとかなる
ウダウダ文句言いながらも
とりあえず足動かせば前に進むし
文句言ってる間にもどうせ進むんだから
文句言ってもいいから進むのだ

羨ましいと言われて感謝した。

ぼかあもっと周りの人に感謝しないと
と思ったのである。


聞いてくれること
意見をくれること
叱ってくれること
提案してくれること

これら全部「私の内面を見て」
行ってくれる人がいるということ。


もう色んな人に対して本当にありがとうなんですけど。なにこれ私幸せすぎない?



実感と経験と確信

私の色んなことに対しての実感経験確信って、奄美に行ったことを思い出すといっぱい出てくるんですよ。あの土地にももちろん感謝で



ありがとうだけじゃ終わらない

ちゃんとその行ってくれたことに対して、
実感して、経験して、確信に変えていかないとありがとうって言えない!
ちゃんと感謝できないー


って、どっかで思ってた。

プライド高くて完璧主義

だからな。



その感謝を掘り下げた結果、
そもそもその人が言葉を、行動を、私に対して投げかけてくれることがそもそもとても稀有なことであって幸せなことだから

それ自体に感謝したい。
感謝できる人がいる、なんて
なんて素敵なことだろうか。

うまれてきてくれてありがとうとか
一緒にいてくれてありがとうとか
ノート見せてくれてありがとうとか


違いはあれどもそれを行ってくれた相手に対してまずは感謝なのだ


それこそが自己肯定に繋がるし

言ってくれる人がいるということ
→その言ってくれた内容

という段階を踏むことによって

叱ってくれた内容に対して、それをちゃんと行おうor行わないように気をつけよう

という実感に繋がるわけで



まずはその人が私の前に居たこと から。




大事なことに気づいたから書いたけど
完全に自己啓発本の類にありそうな
宗教くさいような内容になってしまう

むかしむかし、母に「感謝すること」
の大切さを説かれたことがあった
宗教の類の話ではあったが
内容自体は悪いものではなかったと思う 今でも
多分この話とだいぶ似てると思う




漠然と感謝するんじゃダメ
ただの信仰であり崇拝になってしまう
崇めちゃダメ 相手は同じ人間だから人間として。

べつに神様に感謝するのはいいよ 偶像だもん
感謝するから私は何もしたくないけどお金くれ〜漠然と恐怖から守ってくれ〜とかもダメ

明確さがないと
理由に自分がいないと
その人の姿を借りた偶像を崇拝することになってしまう

そして目標を据えるのだ





そうか、なんか


奄美にいた時、漠然とありがとうーって
言ってたことは、なんも考えてなかったけど
奄美に来られた自分がいた事」
奄美という土地があったこと」
に対してすごーく感謝してたから
それによって自己肯定ができたし
元気にいることができて
次の目標が据えられたから
間違ってなかったかもねん






多分これが自然にできてる自分が、
好きな自分なんだ

わー!やっとわかったー!
思い出したよー!





ありがとう ごめんなさい
許してください 愛しています

ホ・オポノポノ
って言葉があって、それの話にも繋がりうることかも。本買おう…そのうち





いやほんと

自分のためにしかブログ書いてないな
書きながら考えてました
長くなりました
寝ます